へブロン王国 前編
ナオトたち四人が降り立った場所は、地球ではなかった。
それは、やがて彼ら自身が認めざるを得なくなる事実だった。この惑星――シオン。
遠い別の銀河の果てに浮かぶ星。ナオトは、壊れた宇宙船の制御盤を前に、言葉を失っていた。
数値が示す距離は、もはや帰還という言葉を拒絶している。二百三十万光年。
その隔たりを越える手段は、理論の上では存在する。
だがそれは、希望と呼ぶにはあまりにも遠かった。(……言えないな)
ホワイトホールの存在。
それが唯一の可能性であることを、ナオトは理解していた。
だが、その困難さもまた、はっきりと分かっていた。「さて、どうしたものかな……」
独り言のように漏れた声に、アミカが顔を上げる。
「とにかく、船を修理するしかないわね」
「ああ……そうだな」
キョースケは肩をすくめた。
「まったく、ついてない」
その少し離れた場所で、メグミはイシュタルと並び、楽しそうに花を摘んでいた。
森に差し込む光の中で、二人は年齢も、星も忘れたように笑っている。
その光景を、ナオトはなんとなく眺めていた。
――その時だった。
物陰から、異様な影が滑り出た。
アリに似た姿をした金属の生き物。冷たい光を放つ複眼が、イシュタルを捉える。
次の瞬間、それは跳ねた。
「危ない!」
ナオトは考えるより先に体を動かしていた。
イシュタルを突き飛ばし、自分の腕でかばう。「逃げろ、メグミ!」
「メグミ、大丈夫か!?」ほぼ同時に、小さな影が突進した。
ペットロボットのローリィが、全身でアリ型ロボットに体当たりする。「私は大丈夫よ!」
メグミが叫ぶ。「でも……なに、あれ!?」
執拗に襲いかかってくる金属の怪物に、キョースケが前へ出た。
「みんな、離れてろ!」
フェイザーガンが閃光を放つ。
一撃で、アリ型ロボットは弾けるように爆発した。「ありがとう、キョースケくん」
「ここじゃ、これだけが頼りだからな」
静寂が戻る。
ナオトは、腕の中のイシュタルが小刻みに震えていることに気づいた。
「もう大丈夫だよ。安心して」
「……うん」
声は、かすれるほど小さかった。
それでも、それは彼女なりの精一杯の返事だった。ローリィが近づき、イシュタルの手に鼻先を寄せる。
尻尾を振り、やさしく鳴いた。「まあ……かわいい」
「ローリィって言うんだ」
「ローリィ……」
呼ばれた名に応えるように、ローリィは嬉しそうに吠えた。
イシュタルは、少しだけ笑った。
「助けてくれて、ありがとう」
「お礼に……私の家に来てください」
彼女の家は、森の奥、湖畔に建っていた。
小さいながらも、石造りの古城――
人里離れた場所にひっそりと佇む、静かな城だった。「おばあちゃん、ただいま」
「おかえり、イシュタル。今日は遅かったのね」
穏やかな声の主は、気品を感じさせる老女だった。
「今日はね、お客さんを連れてきたの」
「こんにちは」
「はじめまして」
「まあ……ようこそ」
老女は微笑んだ。「今日はちょうど、この子の誕生日なのよ。十二歳になったの」
「ご一緒にお祝いしていただけるかしら?」「ああ、それで花を摘んでたのね」
メグミが言った。テーブルを囲み、ささやかな食事が始まる。
それは、戦争も、銀河も忘れるような、静かな時間だった。
「本当にありがとうございます」
「孫を助けてもらったお礼です」
老女は静かに頷いた。「この人たち、地球から来たんだって」
イシュタルが嬉しそうに言う。「遠い、別の銀河から」
「そう……青い惑星なのね」
老女は、ふと遠くを見るような目をした。
「船が直るまで、ここにいなさい」
「やったあ!」
イシュタルが声を上げる。「ね、いてよね?」
「……しばらく、お世話になります」
その夜。
老女は一人、灯りの下で考え込んでいた。“青い惑星”。
その言葉は、遠い昔に聞いた記憶を、静かに呼び覚ましていた。
――それは、まだ語られていない物語の始まりだった。
つづく