辺境の銀河での誓い
この銀河で、この時代を生きることを選んだ
アストライア号は、名もなき宙域を静かに航行していた。
恒星もなく、航路標識もない。
かつて銀河連邦の地図では、単なる空白として処理されていた場所だ。
今となっては、そうした空白こそが、銀河で最も安全な場所だった。ブリッジには、最低限の明かりだけが灯っている。
修理を終えたばかりの艦は、まだ完全には目覚めていなかった。「……追撃は?」
ジークの問いに、ホログラムのアストライアが答える。
「現時点では確認されていません。
ゲノミニアン艦隊は、別宙域への展開を優先したと推測されます」淡々とした声。
だが、人間には不要なはずの、ほんのわずかな“間”があった。クラリッサは、それを聞き逃さなかった。
「つまり……今は、猶予がある」
「はい。限定的ですが」
その言葉に、誰も安堵しなかった。
ただ、生き延びたという事実だけが、艦内に重く残っていた。
医療区画では、ヘンリー・ハーバードが床に座り込み、
外されたパネルを乱雑に並べていた。「完璧じゃねぇが、飛べる。
正直言って、よく生き残ったよな、この船も、俺たちも」そう言って、彼は笑った。
だが、笑いはすぐに消えた。「……で、どうする?」
誰に向けた問いでもなかった。
クラリッサは腕を組み、静かに言った。
「私は、評議会に戻るべき立場です。
銀河連邦の残存組織は、医官を必要としている」それは事実だった。
彼女が戻れば、安全も、地位も、保障される。「でも」
一拍置いて、彼女は続けた。
「戻ったところで、救える命は限られる。
今の銀河では、もっと多くの人が
――記録にも残らず、死んでいく」ヘンリーは鼻を鳴らした。
「俺はどこへでも行けるさ。
辺境に潜れば、誰も追ってこねぇ」そう言いながら、彼は工具を握りしめる。
「だがな……あのステーションで見た。
逃げ場を失った連中の顔を」言葉は乱暴だが、視線は真剣だった。
ブリッジの片隅で、ヘレンは黙って星図を見つめていた。
彼女は縛られていない。
誰にも従う必要はない。
この銀河のどこへでも行ける。それでも、彼女はここにいた。
「……えっと、君は?」
ジークが問いかける。
ヘレンは振り返り、短く答えた。
「私の名前は、ヘレン」
「あのときは、助けてくれて、ありがとう」
「あの、不思議な力は?」「私はリゲル人……」
彼女は何かを言いかけだが、それだけだった。
沈黙が流れる。
ジークには、その沈黙が「隠している」のではなく、
「まだ言葉にならない」ものだと感じられた。
ジークは、自分が異物であることを思い出していた。
百年前の人間。
この時代の人間ではない。本来なら、選択する資格すらないのかもしれない。
――この時代の人間ですらないのだから。それでも、彼は口を開いた。
「正直に言う」
三人の視線が集まる。
「俺は、この銀河を救う方法を知らない。
ゲノミニアンに勝てる保証もない」誰も否定しなかった。
「だが……あの光景を見て、
何もせずに去ることはできない」彼は、ゆっくりと息を吐いた。
「英雄になるつもりもない。
歴史に名を残す気もない」一瞬、アストライアのホログラムが揺らぐ。
「ただ――この時代を、生きたい」
静かな声だった。
「この三人となら、
この銀河で、生きていける気がする」それが、彼の結論だった。
アストライアは、誰にも聞こえない内部で記録を開始する。
《非公式ログ起動》
《搭乗者:4名》
《目的:生きる》
《条件:不明》演算結果は出ない。
それでも、ログは続く。
《補足》
《艦長は、時代固定を選択》
《観測不能な未来分岐を確認》
「……じゃあ、決まりだな」
ヘンリーが立ち上がり、肩を鳴らす。
「ついていくぜ、艦長」
クラリッサは小さく微笑んだ。
「私も。私は、医者ですから」
ヘレンは何も言わず、頷いた。
ジークはキャプテンシートに戻り、前を見据える。
「アストライア」
「はい、艦長」
「次の進路の候補を」
一瞬の間。
「中立の宙域を推奨します」
「そこへいこう」
マーク艦長は、とりあえず一歩を踏み出すことを考えた。「了解しました」
アストライア号は、静かに加速する。
誰にも見られず、
誰にも記録されず、
ただ一隻の戦艦が、辺境へ向かっていく。後世、この瞬間を
「誓い」と呼ぶ者はいない。だが、銀河史は、確かにここから動き出した。
つづく