空白の期間
静かな電子音が、薄暗い艦内に規則正しく響いていた。
それは心音にも似ていたが、生体のものではない。
金属と光で構成された、戦艦アストライア号の鼓動だった。ジークはベッドに横たわったまま、天井を見つめていた。
目覚めてから、すでに数時間が経過している。百年。
その数字が、頭の中で何度も反響する。
「……百年、か」
声に出すと、現実味は逆に薄れた。
彼の感覚では、ゲノミニアンとの敗走から、まだ一日も経っていない。だが、宇宙は彼を置き去りにして進んでいた。
「こちらを見てください」
クラリッサ・メイ・マクダネルが、ホログラム端末を操作した。
空中に展開されたのは、銀河地図だった。かつて、秩序だった光点が連なっていた宙域は、
今や無数の“空白”に侵食されている。「ここが、元・銀河連邦の中枢宙域です」
彼女の声は、医師として冷静でありながら、どこか沈んでいた。
「連邦崩壊後、正式な統治機構は消滅しました。
交易路は寸断され、惑星間航路は無法地帯化。
生き残った星系は、それぞれが独立勢力として生き延びています」ジークは、無言でそれを見つめていた。
連邦艦隊の紋章が掲げられていた星系。
訓練航行で何度も通過した宙域。
すべてが、歴史の残骸となっている。「……ゲノミニアンは?」
その問いに、クラリッサは一瞬だけ言葉を選んだ。
「勢力を拡大しています。
軍事だけでなく、技術、遺伝子改変、思想面でも」別の映像が投影される。
巨大構造物。人工惑星。異様に整然とした艦隊陣形。「彼らは、自らを“進化の次段階”と定義しています。
旧人類の文明は、管理されるべき過去だと」管理、という言葉が、ジークの胸に引っかかった。
「……支配ではなく?」
「彼らはそうは呼びません」
クラリッサは静かに言った。
「“最適化”です」
その瞬間、ジークは理解した。
これは単なる反乱でも、政権交代でもない。文明そのものの更新だ。
「アストライア号の状態は?」
話題を切り替えたのは、艦長としての本能だった。
「最低限の中枢機能は回復しています。
ただし、百年間、時間流から隔絶されていた影響で、
一部のシステムは再起動に時間がかかります」彼女が操作すると、艦の内部構造図が浮かび上がった。
その中心で、微かに光るコア。
「……自己診断ログに、奇妙な記録があります」
「奇妙?」
「ええ。まるで――」
彼女は言い淀み、言葉を選び直した。
「艦が“夢を見ていた”ような」
ジークは、目を細めた。
百年間、時の狭間に漂っていた戦艦。
停止していたはずの時間。
だが、完全な静止ではなかったのかもしれない。「この百年は、空白じゃない」
彼は、低く呟いた。
「誰かが進み、誰かが滅び、
そして、次の戦争の準備が整えられた期間だ」ジークは、ゆっくりと身体を起こした。
窓の向こうには、荒廃した宇宙が広がっている。
星々はまだ輝いているが、そこに秩序はない。「私は、取り残されたのではない」
むしろ――「この百年を、埋めるために呼び戻された」
その言葉に応えるかのように、
艦内の照明が、わずかに明るさを増した。誰にも聞こえない、ごく小さな電子音が、
確かに“意思”を帯びて、艦内に響いていた。銀河大戦は、終わっていない。
それは形を変え、時代を越え、
さらに大きな戦争へと、拡大している。――そして、観測者は目覚めた。
つづく